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最高裁判所第三小法廷 昭和41年(あ)165号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を福岡高等裁判所に差し戻す。

理由

弁護人神代宗衛、同田中萬一、同古賀野茂見の各上告趣意について。

所論にかんがみ、職権をもって調査すると、原判決には、以下説明する理由により、判決に影響を及ぼすべき法令違反、ひいては重大な事実誤認のあることの顕著な疑いがあるので、これを破棄しなければいちじるしく正義に反するものと認める。

一、本件公訴事実の要旨は、

「被告人は、福江市東浜町七三九番地所在の九州商船株式会社福江支店の倉庫労務員であるが、昭和三七年九月二五日午後六時ごろから右倉庫の宿直勤務につき、午後一〇時ごろ就寝し、翌二六日午前〇時五分ないし一時ごろまでの間にいったん起きて、たばこを吸いながら右倉庫を見まわった際、その吸がらを完全に消火しないで倉庫内に投げ捨てれば、同所にはわらくずなどが散乱し、かつ、こも包みやケースなどが集積されているため、右吸がらの火がこれらに引火する危険性があるにもかかわらず、不注意にも完全に消火しない吸がらを、右倉庫内の久賀、二本楠などの方面の荷物置場付近に投げ捨て、そのまま就寝した過失により、同日午前二時ごろ右吸がらから付近の荷物に燃え移り、現に人の住居に使用する右倉庫およびこれに隣接した付近の住家など三九七戸を焼燬するに至らしめた。」というのであり、第一審は、被告人の司法警察員および検察官に対する各自白調書の任意性に疑いがあるとして、これらの各調書の証拠能力を否定し、その余の証拠をもってしては犯罪の証明が十分でないとして被告人に対し無罪の言渡しをしたが、原審は、右各自白調書の任意性および真実性になんらの欠陥もなく、これらの調書とその余の証拠を総合すれば本件公訴事実は優にこれを認めることができるとして第一審判決を破棄し、右公訴事実どおりの事実を認定したうえ、被告人を罰金五万円に処しているのである。

そこで、以下この点について検討を加えることにする。

二、本件記録によると、被告人が起訴状記載の日時場所において倉庫の宿直勤務につき、午後一〇時ごろ就寝し、昭和三七年九月二六日午前〇時五分ごろか午前一時ごろいったん起きて倉庫内を見まわったこと、および同日午前二時ごろ同倉庫付近から出火し、右倉庫およびこれに隣接した付近の住家など三九七戸が焼けたことについては争いがないが、右見まわりの際被告人がたばこを吸い、その吸がらを倉庫内に投げ捨てたため、右吸がらから引火したとの点については、被告人は、同日の司法警察員の取調べにおいて否認しており、翌二七日付および一〇月一日付の司法警察員に対する各供述調書、同日付の裁判官の質問調書、同月三日付の検察官に対する供述調書ではそれぞれ自白をしているが、同月一七日付の検察官に対する供述調書では再び否認し、同年一二月五日付で起訴された後も、第一審公判の冒頭から一貫して否認していることが明らかである。そして、記録によれば、これらの供述調書は、次のような経過および事情のもとに作成されたものであることがわかる。

被告人は、同年九月二六日午前二時ごろ火災に気づき目をさましたが、すでに手の施しようのない状態であったので、とりあえず電話局に電話をかけて急報し、表にとび出して近隣に大声で火災を知らせ、同市大波止の前記会社福江支店に行った。そして、午前三時ごろ福江署員から任意同行を求められ、承諾して同署におもむいたが、同署にも延焼の危険が迫ったので、署員同伴で福江中学校に行き、簡単な取調べを受けたうえ、さらに、署員同伴で捜査本部となったキリスト教会におもむき、待機させられていた。

本件火災の捜査のため、長崎県警察本部から警部大久保稔が船で正午ごろ福江に到着し、被告人の供述によれば午後一時ごろから、右大久保の証言によれば午後三時ごろから、同人による被告人の取調べが始まり、途中一時間ぐらいずつの食事時間を除いて、午後一〇時すぎごろまで取調べが継続されたという。この日は、被告人は、失火の事実を認めていないし、供述調書も作成されていない。同夜被告人は、自宅に帰らず、警察署が焼けたため署員の臨時宿泊所にあてられていた善教寺に多数の署員とともに宿泊した。そのいきさつは、被告人の供述によれば、「大久保警部が、君は今日帰らん方がいいじゃないか、署員と行って寝なさいというので、おかしいとは思ったが、いうことをきかなければ怒られると思い従った。」というのであり、大久保の証言によれば、「被告人は非常に興奮しており、自分はあれだけの大火を起こし町の人々の顔を見れないし、家族にも会いたくないというので、それならば、われわれも寺に泊るから、いっしょに泊りなさいとすすめたにすぎない。」というのである。

翌二七日被告人は署員に連れられて前記キリスト教会におもむき、被告人の供述によれば午前八時ごろから、大久保の証言によれば午前九時ごろから、同人による取調べが始まり、午後おそくなって被告人の自白が始まった(この日も前日と同様一時間ずつぐらいの食事時間のほかは取調べが継続された。)。その経過は、被告人の供述によると、前日に引き続き取調べは被告人の失火の一点に終始し、「たばこを吸う人間が九時ごろすうてからずっとすわんということがあるか。」「君がひとりいたんじゃないか。君は責任感がないじゃないか。」「白状せろ、思い出せ、考え方が足らない、警察をなめるな、君がいうまで絶対に思い出すまではやめない。」「思い出さんというなら、君の調書は放火でとる、いいかね。」「放火で調書をとったら一〇年の懲役にいくぞ、それでもよいか。」等々その他第一審判決に判示してあるような問答をもって大久保警部から自白を強制され、当夜宿直であったから、責任を感じ、身におぼえのない自白をするに至ったというのであり、大久保の証言によると、「被告人は非常に正直な人で素直であった。たばこをすったろうとそのことだけを追及したことはない。二七日の夜になって、被告人が、よく考えてみると自分がたばこをすったような気がするという話が出たので、調書をとった。」(第一審)、「二六日は、とおり一ぺんのことを聞いただけで、たばこの不始末については追及していない。被告人から否認の供述を聞いていない。二七日の午後三時か四時ごろたまたまたばこをすったかどうかの点に話が進んだとき、急に被告人の態度がかわり、私のたばこの不始末ではないかと思うといって、机に伏せ泣いて自供した。」(原審)というのである。

しかし、記録にあらわれている本件捜査の端緒に照らし、大久保警部の取調べの焦点が、最初から、被告人が当夜たばこをすったかどうかの一点にしぼられていたことは明らかであり、九月二六、二七日両日の前記長時間の取調べが、主として「たばこをすったろう」「すわない」の押問答に終始したであろうことは推察にかたくない。のみならず、同警部の取調状況に関する被告人の供述(第一審)は、その描写が詳細をきわめており、実際に体験した者でなければ表現しがたいような迫真性を帯びているのに対し、他方、事実を掲げての被告人からの反対尋問に対する大久保証人の応答(第一審)はあいまいな点が多く、取調べの実態はある程度被告人の主張する状況に近いものがあったのではないかという疑惑をぬぐい去ることができない。

かくして、右自白に基づき、被告人の司法警察員に対する昭和三七年九月二七日付供述調書(以下A調書と略称する。)が作成され、当日被告人の妻が急病で倒れたという事情もあって、被告人は同夜一〇時ごろ署員同伴で自宅に帰された。その際、被告人宅に居合わせた太田ヲミ、中村忠、太田栄、堀脇喜三郎の一致した証言によれば、被告人はこれらの人々に対し「無実の罪に陥し入れられ残念でならん。孫子の代まで警察官にはなさん。たばこをすっていないといっても警察はきかんで無実の罪をきらにゃならんようになった。」といって涙を流したという。

翌二八日午前八時ごろ被告人は任意同行を求められ、承諾して再びキリスト教会におもむき、大久保警部の取調べを受け、午後七時五五分逮捕状の執行を受けた。そして、一〇月一四日釈放されるまでの間に、被告人は、司法警察員に対する同年一〇月一日付供述調書(以下B調書と略称する。)同日付の裁判官の質問調書、検察官に対する一〇月三日付の供述調書(以下C調書と略称する。)等の自白調書を作成された。被告人の供述によると、検察官に送致される直前、被告人は大久保警部から、「この調書にないようなことをいって、判検事の腹を立てさせたら、軽い罪でも重くなる。いまは、罰金一〇〇円から五万円までで大したことはない。よく考えて、判検事の前でもまちがいないといっておればよい。」旨の誘導を受けたというのであるが、大久保の証言によれば、検察官のところへ行ったらありのままのことを正直に話しなさいと助言しただけであるという。いずれにしても、被告人としては、もう警察でうその自白をして無実の罪をきてしまった以上今さらどうしようもないという心境から、裁判官の勾留質問および検察官の取調べの際も同様の自白をしたと述べているのである。

ところが、被告人は、釈放されたのちの一〇月一七日福江から長崎におもむき、前回被告人を取り調べた検察官羽田辰男に依頼し、同日付の否認調書を作成してもらった。その要旨は、次のとおりである。

「私はたばこを夜中にすった記憶がないので、二六日午後一時から午後一〇時近くまでの大久保警部の調べでは、その点は強く否定しておいた。調べは福江教会で行なわれたが、大久保だけに調べられた。乱暴されたこともないし、おどかされてもいない。二七日は、朝八時すぎから夜七時ごろまで大久保から福江教会で調べられた。食事はいずれもすませてある。このときは、『倉庫内の電気や危険物からの火ではない。おまえのたばこの火だろう。』と何回も何回も追及されるので、午後七時ごろこれを認めてしまい、夜中にたばこのすいがらを捨てたという調書ができた。調書をとり終ったのは夜の一〇時ごろだったと思う。」

以上が、本件記録にあらわれた本件各自白調書作成のいきさつに関する諸事情であるが、進んで、各自白調書の内容について検討を加えることにする。

三、前記A、B、Cの各調書を比較してみると、被告人が目をさました時刻と倉庫内の見まわり方については、特段のくいちがいがみられないが、たばこのすい方については、Aによれば、「土間に腰をおろしてすった。」、Bによれば「寝たままですった。」、Cによれば「寝たままで半分ぐらいすい、そのあとで土間に足をおろして一、二服すった。」と、かなりのくいちがいがみられる。また、たばこの火の消し方、すいがらの捨て方については、根本的なくいちがいとはいえないまでも、A、B、C間にそれぞれ微妙な差異がみられる。

さらに、出火のあとたばこの火の不始末のあったことを思い出した時期については、結果発生後の事情であるから、被告人としてはことさら作為を弄する必要のないことがらであるのに、次のような顕著なくいちがいがみられる。

A調書「荷物の炎上を見たとき、私は瞬間的に、これは一時ごろ自分が起きて、タバコのすいがらをそのまま捨てた記憶があったので、そのタバコの火から発火し、荷物に燃え移ったものと直感しました。」

B調書「火事を知った瞬間何から火が出たのかふしぎに思った。だれかが『何の火か』と聞いたので、『火のないところから出たから電気だろう』と言ったと思う。事実自分は、電気か自然発火ではないかと思っていた。しかし、よく落ちついて考えたら、その前にタバコをすって、火をもみ消し、すいがらを捨てたことを思い出したのである。」

C調書「警察に調べられた夜、寝ながら色々考えてみて、夜中にタバコをすったこと、その火をはっきり確認せずに捨てたこと、しかもその捨てた場所が燃えていたことを思い出し、はっとした。」

四、以上要するに、未曽有の大火直後の混乱した状況下に行なわれた捜査として、ある程度異例の処置をとることもやむをえなかったであろうが、任意捜査のかたちをとりながら、前記のとおり九月二六日、二七日の両日長時間の取調べが継続され、その間警察官の臨時宿泊所に警察官とともに宿泊させられるなど、強制捜査に近い状況のもとに被告人の取調べが行なわれたこと、大久保警部の取調べ状況については前記のような疑惑があること、各自白調書の内容についても前記のようなくいちがいがみられることなど、これまでに検討を加えてきた諸事情を総合すれば、前記の各自白調書につき、いまだ供述の任意性を否定するまでにはいたらないにしても、その信用性はかなり乏しいものとみるのが相当であり、他の補強証拠の証明度が高くないかぎり、これらの自白調書の記載を重視して被告人の過失を認定することは、いちじるしく合理性を欠くものといわなければならない。

五、また、原判決は、当時本件倉庫にわらくず等がまったく土間に残っていなかったという保証はないし、当時の風速などから燃焼を助長する状況にあったことがうかがわれるから、被告人が各自白調書に述べたようなたばこのすい残りの捨て方によって、在庫の荷物に燃え移る蓋然性がないとは到底考えられないと判示しているので、この点について検討を加えてみることにする。

本件記録中には、たばこのすいがらによるわらくず等への着火の可能性について、実験の結果を記載した証拠資料が二つ存在する。その一は、原判決が証拠の標目に掲げた熊本大学教授四宮知郎作成の鑑定書、その二は、科学警察研究所技官萩原隆一作成の「火災原因等の調査についての回答」と題する書面である。

四宮知郎作成の鑑定書によると、たばこのすいがらの残り火、またはねじ切った着火部分の残り火が、わら類等による「ごみ」に接して着火するかどうかについて、五通りの態様につきそれぞれ三回ずつ、すなわち合計一五回の実験が試みられたが、そのうち着火したのはわずか一態様だけで、しかも、その態様というのは、たばこのすいがらをわらの中に倒立させ、その周囲を糸くず状にしたわらくずで包み、空気を適当に供給した場合にようやく成功した、というのである。次に、萩原隆一作成の前記書面によると、実験試料を十分に乾燥させたうえで、たばこのすいがらがこもと段ボールへ着火するかどうかについて多数回の実験が試みられたが、第一に、こもに対しては、無風の場合には一回も着火せず、微風の場合には、新生が三〇回のうち一回、いこいが二〇回のうち一回着火したが、これはすいがらをこもの合わせ目にさしこむようにおいた場合であり、ハイライトとピースは一回も着火しなかった。第二に、段ボールのパッキングケースに対しては、無風の場合には一回も着火せず、微風の場合には、新生が二〇回のうち一回、ハイライトが一五回のうち一回着火したが、これはすいがらを段ボールの合わせ目にさしこむようにおいた場合であり、いこいとピースは一回も着火しなかった。第三に、こもと段ボールの合わせ目にすいがらをおいた場合は一回も着火しなかった、というのである。

以上の各実験によると、最適の条件下においてさえ、たばこのすいがらによるわら、こもまたは段ボールへの着火はきわめて困難であって、たばこのすいがらを倒立させ周囲を糸くず状にしたわらくずで囲んで適当な空気を供給するとか、こもまたは段ボールの合わせ目の中にすいがらをさしこむなどの慎重な人工的、技巧的手段を講じた場合にだけわずかに着火の可能性があるとされたことが明らかである。

してみれば、前記被告人の各自白調書の記載内容が仮に真実であったとしても、被告人は当夜、たばこのすいがらの火をもみ消し(B調書)、または、ねじ切るようにしてむぞうさに捨てた(C調書)というのであるから、そのような態様においては、すいがらによる着火の可能性がほとんどなかったのではないかという疑いが濃厚であり、少なくとも、被告人の自白どおりの態様による実験を試みることなしに、原審が本件において着火の蓋然性があったと即断したのは、なすべき審理をつくさず、証拠の証明力の評価を誤った違法があるものといわざるをえない。

その他、本件記録をつぶさに調べてみると、被告人の喫煙以外の発火原因の存在を積極的に推測させる資料は見あたらないが、同時に、本件火災が他の発火原因によるものであることの可能性を否定し去る資料も見あたらず、むしろ、被告人は平素まじめな性格であって、当夜も特に火気に注意を払っていた事実がうかがわれるので、本件において被告人に原判決認定のような失火があったと断ずるにはなお合理的な疑いをさしはさむ余地があり、原判決が補強証拠に採用した全証拠をもってしても、なお前記各自白調書の乏しい証明力を補うに足りないものといわなければならない。

したがって、これらの諸点につき十分検討を加えることなく、前記各自白調書の信用性をたやすく認めて被告人の本件失火事実を認定した原判決には、判決に影響を及ぼすべき法令の違反があり、ひいては重大な事実誤認のあることの顕著な疑いがあって、これを破棄しなければいちじるしく正義に反するものと認める。

よって、論旨に対する判断をするまでもなく、刑訴法四一一条一号、三号により原判決を破棄し、同法四一三条本文により本件を原裁判所である福岡高等裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

この判決は、裁判官下村三郎の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官下村三郎の反対意見は、次のとおりである。

本件上告趣意のうち、憲法三三条、三四条違反をいう点は、本件記録に徴しても、被告人が違法に身柄を拘束されたと認めることはできないから、所論はその前提を欠き、その余は、すべて単なる法令違反および事実誤認の主張であって、いずれも、適法な上告理由にあたらない。

多数意見は、職権で調査をした上、原判決には判決に影響を及ぼすべき法令の違反があり、ひいては重大な事実誤認のあることの顕著な疑いがあり、破棄しなければいちじるしく正義に反するものとして、破棄の上原審へ差し戻すべきものとしたが、検察官の控訴趣意およびこれに対する原判決の判断は、いずれも、正当として首肯するに足り、また、第一審判決を破棄の上自判した場合における原判決の事実の認定は、挙示の証拠に照らし、多数意見のいうような違法は認められないから、本件上告は、棄却すべきものと考える。

わたくしの意見は、以上をもって尽きるのであるが、多数意見が原判決には判決に影響を及ぼすべき法令の違反があり、ひいては重大な事実誤認のあることの顕著な疑いがあるとする具体的内容は、被告人の司法警察員および検察官に対する各自白調書(A、B、およびCの各調書)中の供述は、いまだ供述の任意性を否定するまでにはいたらないが、その信用性はかなり乏しいものとみるのが相当であり、他の補強証拠の証明度が高くないかぎり、これらの自白調書中の供述を重視して被告人の過失を認定することはいちじるしく合理性を欠くものといわなければならない、としているので、被告人の供述の任意性および補強証拠につき、多少の意見を付け加えておきたいと思う。

第一 被告人の供述の任意性について。

多数意見も、右のとおり、被告人の供述の任意性を否定するまでにはいたっていないので、この点については多くを論ずる必要を認めないが、左記(一)および(二)の点を併せ考えれば、被告人の供述の任意性は十分であって、決して乏しいものということはできないと考える。

(一) 第一審で証拠調をした証拠のうちに、昭和三七年一〇月一日付裁判官の被告人に対する勾留尋問調書(第一審判決にいうD調書)がある。この調書は、被告人に対し勾留請求がなされた際、被告人が裁判官から勾留請求書に記載された被疑事実を告げられ、「その晩私が宿直の当番で六時過ぎ頃その任につきました、午后一〇時頃一旦寝ましたが、一一時頃目がさめて、あたりを見回しましたが別に異状なく、又寝ました。それから一二時頃から午前一時頃にかけて目ざめ、その時も確めたが別に異状なく、只この時「いこい」一本をすって、つめさきで消して土間へ捨てました、しかし、私が午前二時過ぎ頃目がさめたら宿直室と事務室の間にあった荷物が燃え上り、とうてい手をつけられなかったので、直ぐ電話交換手に火事と伝えてくれと云いました、失火場所は私が見回った時も何ん等異状がなかったので、私が指先で消したと思って捨てた煙草の火が消えておらず、それが土間にあったちり等にもえ移って、この度の大火になったと思います、誠に申訳けないことを致しました」と陳述した旨の記載があり、その内容は、被告人が犯罪事実を自白した調書である。被告人に対しこの供述を求めた際には、裁判官は、終始沈黙し、また個々の質問に対して陳述を拒むことができる旨、すなわち、いわゆる供述拒否権があることを告げるなど、刑訴法の要求する方式はすべてこれを履践しており、さらに、この調書は、証拠調をするとき、被告人側において証拠とすることに同意しているのであって、右D調書については、その作成された経過からみて、その内容をなす被告人の供述の任意性は十分にあるものといわなければならない。第一審判決においては、前記AないしC調書はその任意性に重大な疑いを懐かざるをえないとして、証拠能力がないものとして排除したが、右D調書については、一たんはその内容を引用しながら、証拠能力については何ら触れるところがない。

(二) 多数意見は、「同(大久保)警部の取調状況に関する被告人の供述(第一審)は、その描写が詳細をきわめており、実際に体験した者でなければ表現しがたいような迫真性を帯びているのに対し、他方、事実を掲げての被告人からの反対尋問に対する大久保証人の応答(第一審)はあいまいな点が多く、取調べの実態はある程度被告人の主張する状況に近いものがあったのではないかという疑惑をぬぐいさることができない。」といっている。被告人の右供述と証人の右証言といずれを信用すべきかは、結局裁判官の自由な心証によって決せられることはいうまでもないが、多数意見は、被告人の右供述や証人の右証言のうち、どの部分を捕えて右のようにいうのか必ずしも明らかでなく、全般的にみて、被告人の右供述の方がより迫真性を帯びているとは思われない。

第二 補強証拠について。

一般的にいって、放火または失火の場合、ことに、それが既遂となり、犯行の対象となった建造物が焼失したような場合、または失火のように格別の動機がない場合には、犯行を目撃した者がないかぎり、犯行に直接関係がある補強証拠を収集することはきわめて困難であり、各種の状況を補強証拠として判断を下すことも、またやむをえないところである。

多数意見は、補強証拠の証明度が高くないかぎり、被告人の自白を重視することはできないといっているものの、多くを後記四宮知郎作成の鑑定書および萩原隆一作成の「火災原因等の調査についての回答」と題する書面の内容の解明にあて、本件について補強証拠としていかなる程度のいかなる証拠を必要とするのか、詳説していないが、わたくしは、前記のように、被告人の自白の任意性は十分であるし、以下の(一)ないし(七)の状況をもって、十分な補強証拠となしうるものと考える。

(一) 原審第一回公判における被告人の供述によれば、被告人は、本件火災が発生した前日の九月二五日午後六時ごろ九州商船株式会社福江支店の倉庫(以下本件倉庫という。)の宿直勤務につき、午後一〇時ごろ就寝したのちは、同倉庫内には被告人一人のみおり、就寝前施錠をし、たやすく外部から倉庫内に入ることができない状況にあったことおよび被告人は、右宿直勤務をするにあたり、自宅からたばこ、新生か憩の二〇本入りの新しいものを持参したことが明らかである。

(二) 右公判における被告人の供述および第一審第三回公判における証人清水ナルの供述によれば、本件火災の火元は、本件倉庫内であることが明らかである。

(三) 第一審第四回公判における証人鈴木利雄の供述および同人の検察官に対する供述によれば、本件倉庫内のごみ屑は、常時あまり掃除されず、縄の切れはしや屑、紙切れ、菰包みの屑等が散乱しており、九月二五日の夕方も、中二階の下の荷物置場付近には、いつものとおり、藁屑、縄の切れはし等が散乱していたことが明らかである。

原判決は、「当裁判所における事実取調べの結果に徴しても、前記九商倉庫には菰包み或はケース入等の諸荷物が集積されており、その入出庫に際し藁屑等が散乱して、夕方掃除することがあっても、これが全く土間に残っていないとは保証し難い」と判示しているが、自判した場合に右各証拠を証拠の標目に掲げていることからみても、決して右のようにごみ屑の散乱していた事実を否定しているわけではなく、控訴審における事実取調べの結果によっても、本件倉庫内に藁屑等が残存していなかったと断定できないということを明らかにしたに止まるものと考える。

(四) 右鈴木利雄の検察官に対する供述によれば、本件倉庫にはカーテンはなく、宿直室の裏は海で風当りが強いため、倉庫内には隙間風がかなりあり、雨戸を閉めても入ってくる状況にあったことが明らかである。

(五) 福江測候所長代理から九州商船株式会社福江支店支店長池田利郎に宛てた昭和三八年三月二七日付「気象証明の交付について」と題する書面および添付の福江測候所作成の証明書並びに熊本大学教授四宮知郎作成の鑑定書によれば、福江市地方は、昭和三七年八月一日以降本件火災発生の日である九月二六日までの間、八月九日、一六日、二一日に時々小雨があったほか降雨はなく、連日平均秒速2mないし9mの風が吹いており、特に、九月二三日ごろから最大風速11m以上の風が吹きつけ、九月初旬90%ぐらいであった実効湿度が急に80%以下にさがり、九月二五日、二六日の両日には、最小湿度52%、実効湿度72%となり、八月一日以降の最乾燥期であったことが認められる。

(六) 長崎県警察本部刑事部鑑識課長から福江警察署長に宛てた昭和三七年一〇月三一日付および同年一一月一三日付各鑑定書送付書並びに各添付の鑑定書の鑑定の結果によれば、本件火災の原因は洩電、ショート、白熱電球の接触など電気を原因とするものではなく、また自然発火によるものではないと認めるのが相当である。

(七)多数意見は、右熊本大学教授四宮知郎作成の鑑定書および科学警察研究所技官萩原隆一作成の「火災原因等の調査についての回答」と題する書面につきその内容を検討し、これらの書面に記載された実験の結果によると、「被告人の各自白調書の記載内容が仮に真実であったとしても、被告人は当夜、たばこのすいがらの火をもみ消し(B調書)、または、ねじ切るようにしてむぞうさに捨てた(C調書)というのであるから、そのような態様においては、すいがらによる着火の可能性がほとんどなかったのではないかという疑いが濃厚であり、少なくとも、被告人の自白どおりの態様による実験を試みることなしに、原審が本件において着火の蓋然性があったと即断したのは、なすべき審理をつくさず、証拠の証明力の評価を誤った違法があるものといわざるをえない。」としている。

右各書面に記載された実験の経過および結果は、多数意見のいうとおりであり、実験の結果着火した場合の割合が低度であったことは、否定することができないが、右四宮知郎作成の鑑定書のうちには、「自然燻焦の煙草でわらに着火する実験をしてもなかなか着火しないものである。ねじ切り煙草の残火や落下火魂による着火は一層困難である。しかし同様の原因から過去幾多の火災が発生している。一見消えたと思われる残火より着火、火災が生ずることは、強風にさらされ乾燥した器物により、実効湿度の低い大気中でしばしば起ることである。」との記載があるから、右各書面記載の実験の結果によって全く着火の可能性がなかったとはいいえないと思う。多数意見は、少なくとも、被告人の自白どおりの態様による実験を試みるのでなければ審理不尽の違法があるというが、審理の対象とされている被告人の行為は過失犯であって、その行為の内容は、たばこのすいがらあるいはたばこをねじきった部分に火が着いていたにかかわらず、不注意にも火が着いていないものと思ってその着火部分を捨てた結果火災となったというのであって、本件火災が被告人の行為によるものとしても、被告人といえども、着火の程度および着火した部分の落下した場所の詳細な状況は認識していなかったわけであるから、被告人の自白どおりの態様による実験を試みることなしに、着火の蓋然性があったと即断するのは審理不尽であるというのは、当事者の立証に難きを強いるものといわざるをえないであろう。

(裁判長裁判官 松本正雄 裁判官 田中二郎 裁判官 下村三郎 裁判官 飯村義美)

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